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ああ、ずっと見たかった。
クリストファーノーラン監督の作品は、インターステラー(大好き)、ダークナイトトリロジー、ダンケルクの戦い、テネットを過去に見ています。
そして、ピーキーブラインダーズで知ったキリアンマーフィーも最高に良かった。渋い。イケおじ。
ライアンゴズリンには悪いけど、バービーはいつかネトフリにでも出て気が向いたら見ます。
久しぶりにイギリスの映画館で映画を観た。最初に出てきた感想は、
やべえ、英語全然わかんねえ
在英約1年半、日常会話にほとんどの不自由は無くなった。数週間前に観劇もしていて、ある程度聞き取れた。レストランで働いて、毎日英語で接客していた。そうして積み重ねてきた自信が、一気に崩れた。
、、なんてことはないのだが、イギリス英語&演劇の英語に慣れすぎていて、画面上でアメリカ英語でボソボソ喋るのを聞いて何言ってんだこいつら!と思った。しかも量子力学やら政治やらの話である。つまるところ、私はこの映画について50%も理解していないと思う。しかし大まかな流れや、映像や音楽、描写を楽しめた。そしてこの理解度でも思うことはたくさんあった。そして何より、私の英語勉強に対する心を再び燃やしてくれた。
私は今のこの生の感情を言葉にしたいので、調べ物や解説などは必要最低限にするつもりだ。書くうちに調べたくなったりするかもしれないが、そういった考察や歴史の勉強をしてからの感想や意見はまたの機会にしたいと思っている。もしかしたら、解釈を間違えてトンチンカンなことを書いているかもしれないが、その時は笑って読み流すか、指摘してほしい。
多分ネタバレを含むよ!
事実とはなんだろう。
1945年8月6日に広島に原爆が落とされた。
これは事実だ。
アメリカは原子爆弾の投下に成功し、第二次世界大戦を終わらせた。
広島に原爆が落とされ、14万人の罪のない人々が殺された。
これは、事実以上のものである。誰かの色眼鏡を通して事実が述べられている。意見と言うには大袈裟だが、少なくともこの言葉を紡いだ人の考えが表れているように思う。
この映画では、オッペンハイマーがしたこと、彼の周りの人間との関係、彼の人生を、限りなく事実に近く、しかし確実にノーランの目を通して描かれている。
全然理解してないので詳しい内容にはあまり触れたくないが、簡潔に内容を述べると、
オッペンハイマー(科学者)は、量子力学という分野が全く開拓されていなかった母国アメリカにその学問を持ち帰り、広め、遂には政府のために働き、戦争に終止符を打つ原子爆弾を作りだす。爆弾ができた途端、それまでヨイショされていたオッペンハイマーの地位を落とすため誰かが裏工作をしたのかなんなのかよくわからないが、彼の地位は落ちていく。今書いてて思ったが、結論はよくわからない。
この映画で思ったのは、ダイアローグがとても多いことだ。一対一の対話という構図がとても多かったように思える。でもそこに、そのシーン描写やセリフにほとんどあからさまなメッセージや意図はなかったように思う。なぜならそこには誰もが知る、原爆というあまりにも強力な存在があるからである。そこにメッセージを付け加えるのは愚かであり、あまりにもチープである。
クリストファーノーランの目を通したオッペンハイマーの描写は良かった。例えば、原爆が広島に投下された後、彼は人々の前に出てスピーチをする。‘日本人はあれをよく思わないだろう(I’m sure Japanese didn’t like it)‘みたいなことを、話すシーンだ。彼がその言葉を心から話していないのは明らかである。それをよそに人々は喜び、歓声をあげ、拍手をし、フラッシュを焚いているのだが、そのフラッシュと歓声は、まるで原爆でよく使われる描写、ピカドンのようなのである。歓声はよく聞いていると、人々が泣き叫び悶え苦しむ声に聞こえ、挙げ句の果てには女性の1人の肌がただれているように見える。
原爆の実験のシーンでは、爆発の瞬間に音が消える。もちろん音速は光速より遅いので、まず光が見えてから音が聞こえるわけだが、無音の時間がやけに長い。その中で、彼や実験を見守る人々の小さく荒い息遣いが聞こえてくる。それは取り返しのつかない恐ろしい兵器を作ってしまったという事実を、肌で、体で、そして心でじわじわと彼が実感していく様を私たちにも体感させているようだった。
映画的描写は良かったが、それ以外にこの映画にはメッセージもなく、日本人にとってみる価値のないものか?そんなことは全くない、むしろ日本人は見るべきである。無知な日本人は言う、アメリカが広島にしたことは許されるべきではない、私たちは犠牲者だ。と。では、真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた私たちになんの罪もないのか?頑なに降伏しなかった日本政府は?犠牲者の規模に、その出来事の凄惨さに隠れて被害者ヅラするのはどうなのか。そもそも、戦争で誰が悪いかを追求するなどナンセンスだ。この映画は、限りなく純正な事実を(どれだけ事実に忠実かは知りませんが、、)私達に投げている。投げっぱなしである。だからこそ、私たちに考える余地が生まれる。問題提起の場、私はそれが演劇や映画、アートのあるべき姿だと思っている。
これは少し余談だが、最近までロンドン中心地の韓国焼肉屋で働いていた。肉を焼くまでがサービスなので、肉をテーブルで焼きながらお客さんの話に耳を傾けることが多々ある。私は英語で喋るので、大体のお客さんは私が韓国人かなんかだと思っていて悪気はないんだろうが、たまに彼らが日本について話していることがある。あるお客さんは、日本が原発の汚染水を海に流すことを話していた。ある韓国の超超お偉いさんは、私たちは日本の支配から解放され、遂に独立したのだ!と豪語していた。恥ずかしながら、汚染水の話は今日知ったし、韓国を占領した話もよく知らない。私は、はっ!寿司やアニメやオタクカルチャーのおかげで忘れていた!と思った。原爆、第二次世界大戦然り、私は(私たち日本人は)、私たちがしたことをもっと知り同じ間違いを犯さないようにするべきである。それはドイツ人が赤旗と髭面のおじさんについて学ぶように、!(insert any other country)
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