ジャンル:マスクドシアター(Masked Theatre)・ヒューマンドラマ
カンパニー:Kulunka Teatro (https://andreanddorinetour.com/#company)
脚本:セリフなし
上演時間:80分
会場:Assembly Rooms - Ballroom
一言:誰にでも起こりうる、人生の終盤の話。後半は涙が止まらない。
もちろん、ネタバレあるよ。
これは、エジンバラで見た10本のうち1番最後に見た作品だ。意図せず、これは最後に相応しい作品であったし、一番心が動かされた。
この作品は、2010年ごろから海外で上演し始め、今までに30カ国以上で上演された。
マスクドシアターというものを初めてみたが、文字通り頭にマスクを被り一言も喋らず体だけで表現するものである。よくドンキに売っているような変な被り物の上位互換という感じだった。
舞台はどこにでもいるような老夫婦が住んでいる家の中。30代ぐらいの独身息子も登場する。役者は全部で3人しかいない。
![](https://static.wixstatic.com/media/417801_4ff8e361f241488c9084944360aad06e~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_735,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/417801_4ff8e361f241488c9084944360aad06e~mv2.jpg)
何十年も一緒にいたであろうアンドレとドリーンは、おしどり夫婦、というわけでもなくどちらかといえば喧嘩するほど仲がいい的な夫婦である。しかし、ドリーンは認知症を患ってしまう。そして彼女が、全てを忘れていく過程が嫌というほどリアルに生々しく表現されている。おしっこを漏らしたり、トイレとペーパーを全部引っ張り出し、靴下を手に履いて、コートを逆にきる、という具合である。その中で、おじいさんの反応は様々に変化していく、無視、拒絶、怒り、受容、、。まるでfive stages of grief(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/01-知っておきたい基礎知識/死と死期/死と死期の受容#:~:text=死が迫っている,を経て進行します%E3%80%82)
である。しかし、見終わって思うことは、それは全て愛が形を変えていただけのことであるということ。
介護し始めるおじいさん(小説家、頑固)と、時にそれが気に食わない息子(独身、頑固)とのすれ違いや衝突も、妙にリアルで面白いのだが、1番の見所はおばあさんのチェロだと思う。そう、彼女はチェロ弾きであり、実際に舞台上でチェロを引くのだ。最初の方の彼女のチェロの音色はとても美しい。が、ご想像の通り、それがだんだん弾けなくなるのだ。それでも、彼女はその弓だけはずっと手放さなかった。
彼女は途中で亡くなってしまうのだが、その直前、おじいさんと抱き合って静かに踊るシーンがある。彼女はその弓でおじいさんの背中をチェロのように弾き始めるのだ。もちろん彼の体から音は鳴らない。しかし、おじいさんもその場から静かに離れ、真っ暗な舞台で彼女だけにスポットライトが当てられ、チェロの音が流れ始めるそのシーンは、まるで彼女の人生の最後のコンサートのようである。それはとてつもなく美しく、詩的とでもいえばいいのだろうか。人生の美しさと儚さと醜さと残酷さと、ありとあらゆるものが一気に押し寄せてくる。正直、見ているのがしんどかった、でも目はそこに釘付け、これが人生だと、真っ直ぐに語りかけてきた。
介護を経験している世代の目にどう映ったのかはわからない。実際、観客の多くは老夫婦と同じ年代か少し若いぐらい。見てる限りでは、彼らは時に笑ったり静かに見ていた。私のような若い世代にはそれが悲惨で、醜く、これからこれを経験するのかという恐怖と、それとともに美しく人間的だと、より感情的に反応していた気がする。後ろからは、多分若い女の子が、ウッと嗚咽を我慢する声とともにこんなの可哀想すぎる、と漏らしていた。もちろん啜り泣く声も聞こえてきた。もしかしたら、もっと歳をとって介護を経験してからみたら、こんなのあるあるだよね〜と気楽に見られたのかもしれない。
しかし、ちゃんとそのしんどさを中和するシーンもある。おじいさんの回想シーンだ。彼らの若い頃のシーンは、コメディチックで面白かった。2人のセックスシーンや、妊娠から子育てなどはとてもコミカルに描かれている。
さあて、この演目の何がすごいのか。それは、一切言葉がないということ。聞こえるのは、彼らが繰り出す微かな生活音(衣擦れや、紙が捲れる音、ドアの音など)、チェロ、場面転換で流れるアコーディオン、そして観客の音だけ。しかも、表情も変わらない。それなのに、全てがわかる。彼らの関係性も、感情も、言いたいことも、手に取るようにわかる。彼らは決して大袈裟にジェスチャーをしているわけではない。とても自然に、しかし人間がある特定の感情や状態になった時に出てくる身体的サイン(例えば、貧乏ゆすり、肩を落とす、扉を思いっきりしめる、顔を背ける)を確実に捉え、パフォーマンスしている。だから、英語話者もそうでない人も、イギリス人もフランス人も日本人も大人も子供も、みんな理解できる。体からの情報が、いかに世界の共通言語であり、普段のコミュニケーションで大事な役割を果たしているかが理解できた。
結末としては、おばあさんが死に、おじいさんが死に、独身だった息子は相手を見つけ、奥さんは妊娠していて、、という感じだ。サークルオブライフって感じ。この演目のメッセージはなんだったのだろう。人生は、こんな感じで終わり、受け継がれていく。まあ大変だししんどいけど、それもひっくるめて美しい瞬間もあるからまあ生きていこうよ。という感じか。捻りに捻ったプロットでもなく、メッセージを押し付けてくるわけでもない、ただありふれている人生をそのまま見せることで、普遍的人生に私たちが何を見るかを委ねているような。しかし確実に、人生という概念にプラスなイメージを持たせていることは確かだ。それに、見終わった後はスッキリした気がする。人生を悲観している若者に見せたら、少しは希望を持ってくれるだろうか。
この演目のいいところは、見るハードルが高くないということ。あなたが人間である限り、内容の理解に困ることはないと思う。しかし、心の準備は忘れずに。
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